活版印刷(活字を用いた印刷技術)が日本に伝来したのは16世紀末、安土桃山時代のことで、伝来と普及にはキリスト教宣教師や豊臣秀吉政権下の政策、朝鮮出兵など複数の要因が関係しています。
以下に詳しく説明します。
目次
活版印刷の伝来の時期と背景
初期の印刷:木版印刷(仏教の普及とともに)
日本における印刷の歴史は、奈良時代の「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」に代表される木版印刷が起源です(8世紀後半)。
これは仏教経典を大量に複製する目的で使われました。
しかしこれは活字を用いた「活版印刷」ではなく、彫り込んだ版木による印刷です。
活版印刷の伝来:16世紀末
キリシタン版(1590年代)
本格的な活版印刷技術は、イエズス会の宣教師たちが持ち込んだヨーロッパ式の金属活字印刷技術によって、日本に初めて導入されました。
年代と場所
- 1590年ごろ(天正18年)
- 豊後(現在の大分県)の府内(大分市)
主な人物
- イエズス会宣教師(特にポルトガル出身のヴァリニャーノ神父)
- 日本人キリシタンたち(学僧や信徒)
内容と目的
- 宣教活動のために日本語やラテン語、ポルトガル語の宗教書を印刷
- 有名なものに『平家物語』『伊曾保物語(イソップ物語)』『どちりいなきりしたん(教理書)』などがあります
- これらは総称して「キリシタン版」と呼ばれます
特徴
- 使用された活字はローマ字活字(アルファベット)と、日本語用のカタカナ活字
- 現存数は少なく、非常に貴重な資料
活版印刷の国産化:慶長活字本(1600年代初頭)
豊臣秀吉・徳川家康による国産化
宣教師による活版印刷の影響を受けて、日本国内でも独自に活版印刷が行われるようになります。
年代と背景
- 1592〜1598年:文禄・慶長の役(朝鮮出兵)
- 日本軍が朝鮮から銅活字や印刷技術者を連れ帰ったとされています(いわゆる「活字文化の逆輸入」)
- この技術を活かして、1600年ごろから「慶長活字本」と呼ばれる印刷物が作られました
特徴
- 日本語の漢字・仮名を彫った金属活字
- 主に仏教書や漢籍が印刷された
- 書体は当時の筆写本に似せたものが多い
- 見た目は木版と非常に似ており、初見では区別が難しい
なぜ広まらなかったのか
活版印刷はヨーロッパでは印刷革命を起こした画期的技術ですが、日本では限定的な普及にとどまりました。
その理由は以下の通りです。
- 漢字の多さと複雑さ:膨大な文字種の活字を揃えるのが困難
- 木版印刷が高品質で安定していた:とくに江戸時代には木版が支配的
- 政治的要因:江戸幕府の鎖国政策により、西洋技術の輸入が制限された
- 宣教師追放(禁教令):キリシタン版の制作は1614年以降停止
年表で見る日本の活版印刷伝来
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1590年頃 | キリシタンによる活版印刷が日本で開始(大分・長崎) |
| 1592年 | 文禄の役で朝鮮から活字技術が伝来 |
| 1597〜1600年 | キリシタン版『伊曾保物語』『平家物語』などが印刷される |
| 1600年頃 | 日本国内で「慶長活字本」が出版される |
| 1614年 | 禁教令によりキリシタン印刷停止 |
| 江戸時代 | 木版印刷が主流となり、活版印刷は一時衰退 |
まとめ

日本における活版印刷の伝来は、16世紀末のキリスト教宣教師による技術導入と、朝鮮からの文化的伝播の2つが大きな契機となっています。
短期間で一定の成果を挙げたものの、文化的・技術的・政治的要因によって広く定着することはありませんでした。
しかし、後の明治時代以降、西洋技術として再導入され、日本の近代出版文化の基礎となりました。
以上、活版印刷は日本にいつ伝来したのかについてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

