タペストリー(Tapestry)は、壁を飾る織物芸術の一種であり、古代から現代に至るまで、装飾、保温、宗教的・政治的メッセージの伝達など、多様な役割を果たしてきました。
その歴史は非常に古く、時代や地域によってスタイルや用途が変化しています。
以下では、タペストリーの起源から現代までの流れを、詳しく解説します。
目次
起源と古代のタペストリー
紀元前の起源
- エジプトや中東地域では、紀元前3000年頃から織物が存在していたことがわかっており、壁を覆う布が儀式的または装飾的に使われていました。
- 古代エジプトでは、埋葬品として装飾的な布が墓に収められ、装飾だけでなく、霊的保護の意味もありました。
- ペルシャ(現代のイラン)では、紀元前5世紀頃のアケメネス朝の遺跡から豪華な絨毯や織物の痕跡が見つかっており、これらがタペストリーの先駆けと見なされることもあります。
中世ヨーロッパにおける発展(5世紀〜15世紀)
タペストリーの芸術としての確立
- 中世初期(5〜10世紀)、タペストリーは教会や修道院などで使用され、聖書の物語や聖人伝などが主題に。
- 聖職者の教育や信徒への教えの手段として、文字が読めない人々にも視覚的に教義を伝えることができました。
ゴシック時代(12〜15世紀)
- フランスやフランドル(現在のベルギー周辺)がタペストリー制作の中心地となります。
- 有名な例:「貴婦人と一角獣」シリーズ(15世紀)。リヨンにあるクリュニー中世美術館に所蔵。愛・音楽・視覚・触覚などの五感をテーマにした象徴的作品。
- 高度な技術で絹、金糸、銀糸を織り込み、まさに「動く絵画」と称される芸術品でした。
ルネサンスとタペストリーの黄金期(15〜17世紀)
技術と芸術の融合
- ルネサンスの時代になると、芸術家(画家)が下絵(カルトン)を描き、それを織職人が再現する形式が確立します。
- 代表例:ラファエロのカルトンによるタペストリー。教皇レオ10世の依頼でバチカンのシスティーナ礼拝堂に飾られました。
ゴブラン工房(Gobelins Manufactory)
- 1662年、フランス王ルイ14世の財務総監コルベールがパリに王立ゴブラン工房を設立。
- この工房は王室のためにタペストリーを制作し、フランスの権威と文化を象徴する存在になりました。
近代における衰退と再評価(18〜19世紀)
タペストリーの衰退
- 産業革命により、印刷技術や壁紙の普及が進み、手織りのタペストリーは高価で時代遅れなものと見なされるようになります。
- 美術としての価値は保持されましたが、日常空間からは次第に姿を消していきました。
アーツ・アンド・クラフツ運動
- 19世紀末、ウィリアム・モリスなどの芸術家がタペストリーに再び注目。
- 「手仕事の復権」として、中世の技法を復興し、自然や神話をモチーフにしたデザインで新しいタペストリー芸術を提唱しました。
現代のタペストリー(20世紀〜現在)
現代アートとしての展開
- ピカソやマティスなどのモダンアーティストもタペストリーの制作に関与。
- フランスのオービュッソン(Aubusson)やゴブランでは現代アーティストとのコラボレーションが行われています。
- 日本でも染織作家がタペストリー技法を応用し、独自の表現を展開しています。
現代の用途と価値
- 現代ではインテリア装飾、文化財、アート作品として再評価されています。
- 美術館・ギャラリーでの展示はもちろん、個人の住宅にも取り入れられることも増え、温かみ・柔らかさ・吸音効果といった実用的なメリットも注目されています。
タペストリーの制作技法(簡略)
- 織り方:たて糸に対して横糸を手作業で通していく「綴れ織り(つづれおり)」が基本。
- 素材:ウール、絹、リネン、金銀糸など。現代では合成繊維も使われます。
- カルトン(下絵):原画を布の大きさに拡大し、それを見ながら織る。絵画のような精緻な表現が可能になります。
まとめ

タペストリーは単なる装飾品ではなく、その時代の宗教観、政治権力、芸術潮流、さらには人々の生活様式を映す「歴史の織物」とも言える存在です。
中世の聖書物語から、ルネサンスの絢爛な王権象徴、そして現代アートとしての再解釈まで、タペストリーは常に時代とともに姿を変えながらも、「物語を布に刻む」文化芸術として生き続けています。
以上、タペストリーの歴史についてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

